2017年2月21日火曜日

友の会活動day

今日の天気は、晴れ。
最低気温は上標津での‐10.4℃、最高気温は中標津での‐5.1℃。

今朝の中標津は久しぶりに雪が積もりましたが、明後日はより雪が積もるそうだとか…。(-_-;)

さて、本日は郷土館友の会(中標津の自然を知ろう会)活動dayで、
旧体育館で見つかった16ミリフィルムのDVD(製作:別海町電脳工房)を鑑賞しました!!

 
と言いますのも、
新聞等で報じてくださったこともあり、前回の会の集まりで「ぜひ見たいね」と会員さんたちからの熱望で今回行った次第です。
 

解説は当時ナレーターを務められた会員のA氏にお願いしました!


 
 
町の移り変わりについて、お話してくださり勉強になりました!!
会員さんたちは終始懐かしそうでした。
 
最後に、次年度の計画について、会員さんからたくさん意見を出して頂き、内容の濃い中身となりました。
今年度も残すところあと1ヶ月強ですね。次年度に向けて”待ったなし!”
というところでしょうか?笑…
 
本日のブログは、学芸員のMでした。
 




2017年2月17日金曜日

続々と…

今日の天気は、曇りのち雨。
最低気温は空港での-3.1℃で「4月中旬並」、最高気温は中標津での5.9℃で「4月上旬並」。

本日も中標津小学校3年生のみなさん36名(教諭2名)が『昔の道具調べ』で郷土館に来館されました!!

↓先の大戦関係のブースに興味関心をよせていました。
 
 
それから、歴代天皇の万世一系を伝える掛け軸の説明を尋ねられ、当時の思想をわかりやすくどのように伝えるべきか少々困りました。
あくまで「昔はそう考えていたんだよ」とお話しましたが…。(^_^;)

さて、
写真資料を募るパネル展『思い出の計根別』を中標津町交流センターにて開催していますが、

 
 
ここ数日、町内在住者からの写真提供が相次ぎました!
ありがたいです~~<m(__)m>

提供頂いた写真資料の一部をご紹介します。



↓昭和15年頃計根別にて撮影
 
 
計根別地区以外にも中標津、武佐地区の写真の提供もありました。
↓昭和40年1月15日に公民館で開催された成人式

 
↓昭和27年に撮影された武佐小学校2年生の集合写真

 
続々と貴重な資料を提供して頂きありがたいです!!
写真資料の提供をお待ちしております!!<m(__)m>
 
連絡先:中標津町教育委員会生涯学習課学芸係
TEL:0153-73-3111(内線277)
FAX:0153-72-7757
 
本日のブログは、学芸員のMでした。
 


2017年2月15日水曜日

昨日、今日の出来事…

今日の天気は、晴れ。
最低気温は中標津での‐9.0℃で「3月中旬並」、最高気温は空港での3.2℃で「3月中旬並」。

ここ数日気温が上がり雪解けが進みうれしい反面、車がドロドロになって汚くなるのがなんとも言えません…。ともかく暖かいい陽気に恵まれることはいいですね!!(^_^)

さて、本日は中標津小学校3年1組のみなさん、総勢37名(教諭2名)が『昔の道具調べ』で来館されました。
たくさん質問してくださいました!(^O^)/

 
ありがとうござました!!<m(__)m>
 
さてさて、
昨日は町内唯一のオジロワシ営巣地の調査へ日本野鳥の会根室支部中標津グループのOさんと一緒に行ってきました。
 
↓スノーシューを履いて、営巣地へ向かったのですが、全然雪がしまっていないので歩くのに難儀でした…(*_*;

↓営巣地付近までたどり着き、双眼鏡で確認しましたが、

使われている感じはしませんでした。
ちょっと早かったようです~~
来月また再挑戦したいと思います!!!
 
 
と、言うことで坂道を上り来た道を戻りました…(*_*;
 

 
本日のブログは、学芸員のMでした。




 


2017年2月2日木曜日

タンチョウは何処へ…。

今日の天気は、晴れ。
最低気温は上標津での-12.2℃、最高気温は中標津での-5.5℃で「最も寒い時期を下回る」。

午後から日本野鳥の会根室支部中標津グループのOさんに同行して、タンチョウのニオの様子を見にいってきました!


 
↓タンチョウのニオ

 
↓入口部分に吹き溜まり、ほぼ埋まっていました!!(*´ω`*)


 
残念ながら、あたりにタンチョウの姿、足跡もありませんでした…。
残念…(-_-;)
 
1月中旬あたりから移動しているかもしれないとのこと。
 
ですが、ペットボトルに入っていた餌が半分以上なくなっていたので、
長いくちばしをもつタンチョウしかそこまで食すことができないので、
彼がきっと食べてくれているのだろう!!
 
因みに、餌の入っているペットボトルとは、↓です!
 
 
 ↓晴れてて、天気もよくていいように見えますが
 
実際は、武佐岳からの吹きおろしの風がすさまじくて
ものすごく寒かったです~~(*_*;
 
一瞬一瞬に強風が顔に吹き付けるので、写真が撮れないのです。
なので、風がやんだ写真しかないのです…。トホホホ…。
 
↓この後、一瞬ホワイトアウトになりました!!

なにせ、辺りに遮るものがありませんからね。
地吹雪のシャッターチャンスまたもや逃しました~~
 
とはいえ、本日、道内では地吹雪による玉突き事故が多発したそうですから、
注意しなくては!!
 
本日のブログは、学芸員のMでした。

2017年2月1日水曜日

昭和の新聞記事から。

今日の天気は晴れ。
最低気温は空港での-21.4℃で「最も寒い時期を下回る」、最高気温は中標津での-1.1℃で「2月下旬並」。


西村武重氏の新聞記事コレクションを見ていたら、
旧国鉄標津線についての語り部談義の記事が綴ってあって興味深かったのでご紹介します。

 
北海道新聞 昭和35年2月21日付



司 会 国鉄標津線が開通したころの思い出をどうぞ。
佐 藤 厚床―中標津間は昭和九年に開通したが、はじめ海岸沿いに敷設されるという情報があり、あわてて木下成太郎代議士に電報を打ったところ、八十四字打電したのに故障か何かで先方の手元には五十字の電文しか届かず、何が何やらわからぬ電文になってしまった。当時は中標津から電話で標津郵便局を呼び出し電報を打つのだからしばしばまちがえて困った.。

瀬 野 いよいよ鉄道工事がはじまることになってまもなく賃金不払い事件がおきて大さわぎになりましたね。

佐々木 あれは××組の下請けが労賃などを着服してしまったんだ。

瀬 野 ともかく相手は国鉄というので、街の商店などはどんどん品物を入れたのがいざ精算という時になって金はないというだんから大変なさわぎだ。倒産した店もあったほどだ。

福 井 冷害凶作の翌年(昭和8年)だったのでこの工事に働きに出た人が多かったが、十二月から四月ま で働き、百二十円ぐらいもらえると思っていたのが払えぬというんですから怒ったりわめていたりで…。

川 口 総額で二万八千円ほどの工事費だと聞いていた。

佐 藤 その頃の標津村の総予算が七千円ぐらいだったのだから二万八千円は大金だ。

瀬 野 だから昭和十二年の標茶―標津間の鉄道工事のときは商人も商品の仕送りはできるだけさけていた。
   
     以下中略

標津線開通が及ぼす影響がいかに大きかったが、改めて感じます。
冷害凶作という死活問題にに対して、道庁に訴える他にも旧国鉄標津線の開通工事に従事したりして必死になっていたことがわかりました。

当時の120円は、現在でいうと20~30万円くらいになるのではないかと思いますが、(※算出方法によって金額はことなります。)
 その労働の対価がもらえないというのだから、怒るのも当然ですよね。

個人的には、こちらも気になりました。
↓大相撲 昭和45年九州場所星取表
 
この年、昭和45年に柏戸が引退し、「柏鵬」(柏戸・大鵬)時代が終わり、時代は「北玉」(北の富士・玉の海)時代へと向かいます。
そんな中、名大関貴ノ花が関脇にいたり、後に開幕優勝を果たす栃東がいたりと興味深いです。
大関に清国、大麒麟、琴桜、関脇に藤ノ川、小結に竜虎、前頭に三重の海、長谷川と…。
名だたる北海道出身力士も多いですし、大相撲史をふりかえる上ではファンの方なら感慨もひとしおではないかと思いました。
 
あ!そうそう大横綱輪島は、この年の番付で十両筆頭でした!
成績は9勝6敗。
 
少々雑談がすぎました…(-_-;)

本日のブログは、学芸員のMでした。