最低気温は空港での-3.9℃で「4月上旬並」、最高気温は中標津、空港での-1.4℃で「1月上旬並」。
気温は、上がり暖かくなって本当に良かったです。雪は、まだまだたくさんありますが…(-_-;)
本日は、郷土館の除雪作業、ラジオの原稿作成、郷土館友の会の活動に係る打ち合わせなどをしておりました。
話は代わりまして、
明日、地域コミュニティーFM「FMはな」の12時代放送の「ナカシベツヒストリー」に出演させて頂きます。
フェイスブック:https://www.facebook.com/fmhana
「前回の放送聞いてないよ~」「もう、前回の放送忘れたよ~」と、言う方は↓こちらへ
簡単ではりますが、まとめてみました。
【前回までの放送】
昭和16年から始まった太平洋戦争において、北海道よりはるか北にあるアッツ・キスカ両島が北方防衛の第一線になっていました。しかし、アメリカ軍にアッツ島が占領され、キスカ島の兵員が撤退したことから、北方防衛の第一線は北千島へと移行されました。そこで、軍部は、北千島への防衛を強化するため兵員を増やし、守りを固めていきましたが、昭和19年には、各地で戦況が悪化し、アメリカ軍の攻撃範囲が広まり、大型爆撃機B-29の空襲が行われるようになっていきました。
そこで、軍部は、本土決戦に備えた作戦を立ていきました。中標津を含めた道東地方でも、本土決戦に向けた作戦が進められていいきました。それは、どのような経緯で進められ、どのような作戦であったのかについてお話していきたいと思います。
お時間があれば、ぜひ、お聞きになって頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。<m(__)m>
本日のブログは、学芸員のMでした。
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