2016年2月26日金曜日

郷土館友の会での語り部の一端

一日、晴れておりました。
最低気温は中標津での-19.8℃で「最も寒い時期を下回る」、最高気温は上標津での-3.4℃。
今日も冷え冷えです…。


午前中は、中標津小学校3年生が昔の道具調べで郷土館に来館されたので、その対応を行い、
正午は、FMはなのラジオに出演し、その後は事務作業をしておりました。

因みに、一昨日は…

昨年で戦後70年目を迎えたことから、郷土館友の会の活動で会員お二方から戦中、戦後における根釧地方の様子についてお話していただきました。

最初に、対談形式で戦中釧路で体験された空襲の様子や当時働いていた日本通運での仕事などのお話について伺いました。
(当時の惨劇が伝わってきました…(-_-;))
また、会員の中からも、質問をだしてくれたりと、ディスカッションもしながらお話してくださいました。



その後、
会員のもう一方から、ご自身がお持ちになっている写真をスライドで投影しながら、当時の酪農の生活の様子、教師として勤務していた学校の様子などについてお話して頂きました。

 
入殖した中西別でのお話では…
当時、移住者世話所の主任が、食事に困っている農家さんがいたら、躊躇なく自分の食事を分け、お金に困っていたら、給料から貸し与えるなど入殖者を愛しよく面倒を見たと親や兄から、伝えられたとお話してくださいました。しかし、農業指導では、一刻も早く成功して欲しいという願いから、農業指導には厳しかったと伝えられたそうです。
また、今のように規則がさほど厳正なものではなく、世話所主任の厚意で入殖者に対し便宜を図っていたと語ってくれました。

文献資料の中でよくでてくる「移住者世話所」での様子などが、ともてもよくわかり非常に面白かったです。「本当に、移住者の日常百般のお世話をされていたのだなぁ~」と感慨深く聞き入ってしまいました~(^O^)


本日のブログは、学芸員のMでした。

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