2016年11月25日金曜日

日常の学校生活…

今日の天気は、晴れ。
最低気温は空港での‐16.1℃で「最も寒い時期を下回る」、最高気温は中標津での0.4℃で「12月中旬並」。

さて、
大正6年に「尋常高等小学校武佐特別教授場」として開校した武佐小学校”が、
100年の歳月を経て来年3月31日をもって閉校となります。

そのため、郷土館では日常の学校生活の様子を記録するべく撮影に行ってきました!!

 
 
 
 



 
 
 
↓うれしいことに、「郷土館だより」を掲示してくれていました!!(^-^)
 
 
↓来月から始まる特別展のポスターも!
 
 
↓ドアや窓枠の感じがなき地元の中学校の感じに似ていて懐かしかった~~
 


 

 

 
 
↓給食がでてくる独特の香りも懐かしい~~(-_-)


 
 
 

 
 

 
 
貴重な資料
 
↓武佐小学校の航空写真

 
↓中央武佐に敷設されていた殖民軌道のレール
 
(写真左:殖民軌道のレール、右:標津線のレール)
 
などがあり、驚きました!!(@_@)
 
 
 
後々、武佐小学校の特別展ができればと思います!!
撮影に協力して頂いた武佐小学校のみなさんあいがとうございました!!
 
本日のブログは、学芸員のMでした。
 
 
 
 
 


 
 


2016年11月23日水曜日

町内初代郵便局

今日の天気は、晴れ。
最低気温は上標津での-8.8℃、最高気温は空港での‐0.2℃で「12月下旬並」でした。
どおりで寒い一日でした…(-_-;)

さて、
町内に所在していた初代郵便局が、今週末には解体されることになりました。

(『中標津町史』より掲載)


現在では、建物の改修が行われ往時の面影はあまりないですが、

↓屋根の軒下の装飾や戸袋などが残されています。
 
 
 
↓戸袋(とぶくろ:雨戸などを収納するためのもの)
 
調査にご協力して頂いたTさんいわく、
「昭和初期にこの地域では珍しいね」とお話ししてくださいました。
確かに、中標津では見かけないですね。
 

と、言うことで昨日は、Y学芸員、Tさん(NPO法人歴史的地域資産研究機構)、役場の街づくり推進係のお二方、郷土館スタッフで建造物の調査及び屋根の軒下の装飾を保存するべく取り外す作業を行いました。



↓内側から取り外す作業。郷土館スタッフ、奮闘中!!
※所有者、業者の許可を得て作業を行っています。
 



↓壁の板を一枚外すと、昭和20~30年代の新聞記事が貼られていました。
(「根室版」の文字がみえます。)
 

 
↓新聞紙を外すと、装飾が施されている板がでてきます。
 
↓無事、取り外しに成功!!
 
 
今回の調査によって、
装飾の白ペンキの下に水色、ブルーのペンキが施されていること、
また、装飾の剥離面にも白ペンキが塗られていることから
元々は水色、ブルーのペンキが塗らていたのではないかという結論に。

↓その他には、電球のシーリングカバーが陶器製のものや
 

↓資材に屋号などが印字されているものなどがありました。
 
これらも、保存のため採集しました。

本日のブログは、学芸員のMでした。











2016年11月1日火曜日

なかしべつの古写真をみながら…

今日の天気は、晴れ。
最低気温は空港での‐5.7℃で「11月中旬並」、最高気温は空港、中標津での3.5℃で「12月上旬並」。

午前中は、役場にて中学生議会が行われ、Y学芸員は進行役、僕は記録撮影。
中学生議員から「町中で街灯が少なく、暗いので街灯を増やして欲しい」、「除雪の回数が少なく、歩道がないので、増やして欲しい」など中学生から見た切実な内情が伝えられていました。


午後からは、
中標津町老人クラブ連合会で「70年前のなかしべつをふりかえる」(主催、中標津町福祉協議会)と題してお話しをさせて頂きました。
と、言っても僕がお話したのは最初の10分ほどで、残りの時間は昭和20年代の中標津市街地の写真を見ながら参加者のみなさんに色々伺いながらお話しをして頂きました。

 
↓最初にスライドで、
分村までの道のりを簡単に説明させて頂きました。
会場からは「中村屋旅館、懐かしいね」と言われたり、うなずく参加者も多くみられました。
 
↓参加者は、40名近くおりました。
 
途中、スライド終了後15分間、記憶にあることを紙に書く時間をもうけました。
(反省点、紙に書くというよりは話をして頂くという方がよかったですね)
 
↓写真をみながら、多くのことを伺っているところ。

 
その後、写真をみながら、数名の方に報告して頂きました。
そうしたところ、他の参加者の方から、そう言えばそうだったよねと共感される場面が多くみられ、
いい意味で会場に一体感が生まれているような気がしました。
 
↓こちらは、中標津が町になった年、昭和25年の写真ですが
 
 
左の伊藤金宝堂には●●呉服屋さんや●●履物屋さんなどの4店舗のお店やさんが当時
はいっていて、その後、それぞれのお店が独立し今にいたっているという。
 
その他にも、町史には書かれていない当時の様子を多く聞くことができました。
 
 

↓また、写真を見ながら談笑する姿が多くみられました。

 
 
講師と受講生が、前半と後半で分かれての講座でした~~('◇')ゞ
が、参加者の方が話す当時の様子について、うなずいたり、「そうだったよね~」など共感する場面が多くみられたので、自分で言うのもおかしいですがとりあえずは良かったのではないかと思いました。
ただ、ファシリテータとしてのスキルを磨く必要はありますが…。('◇')ゞ
 
 
参加者の方から、「昭和30年代以降なら話せるんだけどな~、でも楽しかったよ~」と言ってくれました。本当にありがたいことです。もっとみなさんからローカルならではのことを伺っていきたいと思いました。
次につなぐ、今回の講座だったと思いますし、つないでいきたいとも思います!!
 
 
 
関係者のみなさん、参加者のみなさん、お疲れさまでした。
本当にありがとうございました!!
 
                                   本日のブログは、学芸員のMでした。