今日も、春の陽気に包まれました。
郷土館の上に溜まった雪は溶けて、屋根から勢いよく滴っていました。
郷土館仮設事務所の屋根の雪はほとんどなくなり、雪おろしの心配もなくなりました。
今年は例年になく、春の訪れが早く感じますね。
新年度に向けて、郷土館、文化財の課題、問題にチャレンジしないとと気持ちも春の陽気と共に高まってきます。
そのような中で、一昨日は2回目の文化財の企画会議を行いました。
皆さんと、楽しく意見交換して、「あ〜しよう」「それならこうしたらいいね」など談笑しながら行いました。
そんな中、資料として使う昔の地図をいつの時点を選ぼうかという話になりました。
「そもそも、町の中心?、シンボル?、拠り所が変わってきているのではないか?」ということで、町民の方々と振り返ってみると、昭和初期の農試(「旧北海道農事試験場根室支場」の略称)が建った時点、鉄道が開通してからの中標津駅前、駅が無くなっ後で移り変わってきいるということを実感しました。
確かに、戦前・戦中を体験された方は、口々に「農試が建ったから、この町は発展した」と言い、戦後生まれの方々は、中標津駅が初めて町へ訪れた最初の場所であったり、見送ったり、見送られたり、お祭りの際には駅前広場で踊ったり、記念写真を駅前で写したりと生活と深く結びついていたことが読み取れます。
ということで、旧農試庁舎前、駅前で映された写真をセレクトしてみました。
↓昭和17年に旧農試庁舎前で写された写真
(NPO法人伝成館まちづくり協議会提供)
学校の帰りに、父親と娘が旧農試庁舎前で写したという。
詳細は↓ブログ『伝成館ふるさとの礎』へ
↓昭和27年頃旧農試庁舎前にて撮影された服装女学院の方々の記念写真。
(NPO法人伝成館まちづくり協議会提供)
↓昭和40年8月15日に撮影され「商工まつり」の
仮装パレード終了後に写されたと思われる駅前での写真。
↓写真を撮るため群がるカメラマンを写した写真
↓昭和47年8月に駅前通りにて「商工まつり」パレードを写した写真。
(M学芸員)
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