2023年2月26日日曜日

結構揺れました〜〜

 先ほど、午後10時27分に北海道根室北部・南部で最大震度5弱の地震が発生し、中標津は震度4を記録しました。


                YAHooニュースより転載。


と、言うことで、係長・主査以上は役場参集ということで、施設確認。

シャワー浴びて、明日の会議に備えていた中でしたので、慌てて着替えて役場へ直行!



幸にして、被害もなくよかったです。


なぜ、地震は夜に発生することが多いのかなと…。



それにしても、つい最近、防災訓練したばかりなので、参集に慣れていたかもしれないですね。



(M学芸員)

2023年2月24日金曜日

町民目線の調査の拡充へ 〜


文化財事業のFacebookへ、投稿した古写真が思いの外、反響があって嬉しいです〜〜。


               (昭和40年代の中標津市街地)



随時、更新していきたいです!!


特に、地元ならではの話題が出てくる。

お店の情報から、「実家です!」などなど。

建物悉皆調査をしていても、外観は美装化されていても、建物自体は古かったりと、

中標津の市街地は、意外と今風に言うとリノベしている店舗が多く、割りと50年くらい前の建物が残っています。
最近は、解体が進んで、「あの、建物解体してた!」とかそういう話を聞くことが多いですが…。

それだけに、建物の記憶を後世に残すための基礎資料の蓄積が「歴史」を語る上では欠かせないのだと思いますね。


これが、町民目線で、文化財を拾い上げることの大切さなのだと痛感いたします。

明後日は、いよいよ年度最後の「文化財保存活用地域計画」の協議会です。

計画を作り上げること自体も課題ですが、この後の動きがやっパリ気になる。
「いや!気にしないといけないんでしょうね!?」


Facebook投稿写真(「文化財保存活用地域計画」調査部会部員提供)より。

↓昭和58年撮影 「中標津神社例大祭」の様子
 東1条と中央通りとの交差点。
 写真左側に、『パル東武』が写っています。


写真右側に、『丸五スーパー・ストア』、『川口薬局』。


写真左側が『パル東武』、『丸五スーパー・ストア』
 

↓雨宮印刷株式会社さんより『写真で見る中標津町の昔と今』
   と題して、約100年の歩みを振り返る写真集が出版されました。
町の「ふるさと納税の返礼品」にもなっております。
        
(中標津町ふるさと納税【公式】Instagramより)
    

よろしければ、書店等でチェックしてみください。

↓中標津町 「ふるさと納税」HP


                                  (M学芸員)

2023年2月23日木曜日

昭和30年代の町中写真紹介

「文化財保存活用地域計画」のFacebookへも投稿いたしましたが、調査部会の部員さんより、提供してくださった昭和30年代の町中写真をご紹介します。


↓1枚目は、「商工まつり」の際に写された東1条通りの写真。(昭和30年代撮影)

          一番左側、初代郵便局(昭和3年〜27)。
          一番右側、中標津電報電話局(昭和28年〜42年)。


個人的には、初代郵便局の建築意匠が好きでした。

軒下のレリーフがステキで、解体の際には所有者さんの了解いただき採取させていただきました。
現存していたら、国登録有形文化財第6号目になっていたのではと思いますね〜。


↓2枚目も、東1条通りの写真。(昭和30年代撮影)
道路が舗装されていないので、昭和30年代に撮られた写真だと思いますね。



↓精光電気商会、店内の写真(昭和30年代撮影)
 店内の美しい女性は、広告の写真だそうです。
一見、本当にいるように見えてしましました。
何とも言えない、映画『〜夕日三丁目』の雰囲気が出ているきがしますね。


↓一気に新しくなって平成初期の写真です。(平成3年撮影)
  手前から池田商店、村中商店、佐々木商店。


         ↓上の写真と同じ時期に、別アングルで撮られた写真
              一番右側の建物が、丸五スーパー。
         今は、3軒とも無くなり、ラーメン屋さんができてますね。
    丸五さんの建物の一部は現存し、カラオケ屋さんなどになってます。

昔の街中写真を、持ちながらブラブラと町民の皆さんと歩くと
記憶がよみがえり色々と貴重なお話が出てきそうですね。

表に出せない話も中には出てきたりしそうですがね。

↓昭和40年代の中標津市街地図

「郵政会館」が初代郵便局です。
その向かいに精光電気商会があります。


本日は、こんなところで失礼します。
それにしても、昨日は一段と冷えましたね。

昨日のオンライン会議は緊張してお腹が痛かったのか、冷えてお腹がいたくなったのか、退勤するまで腹痛が続きました…(笑)


                                  (M学芸員)

        

2023年2月22日水曜日

江戸時代の文化財を活かしたまちづくりから思うこと

前からずっと、「文化財保存活用地域計画」を作成するにあたり、思っていたことを述べてみました。多くの方からお叱りを受けそうですが…。

「文化財保存活用地域計画」を始めたきっかけは、本町の国登録有形文化財であり、町の歴史文化をとりわけ物語る旧北海道農事試験場根室支場の保存改修が喫緊の課題としてありました。また、郷土館は、昭和46年に開館してから50年が経過し、町民の皆さんはじめ「いつ新しくなるの?」と、待ち焦がれていた。

と、言うこともあり、小樽市では、ちょうど計画の前身である「歴史文化基本構想」策定を記念したフォーラムの開催があり、聞きにいき、文化庁の岡本公秀調査官や江差町教育委員会の学芸員さん、小樽市教育委員会さん、観光協会さんでの取り組みや、未指定を含めた文化財に光を当て、保存・活用を図ることに衝撃と感銘を受けました。


でも、私の心の中にあったのは、それだけではなくある人物のことが連想されました。
江戸時代の終わりごろ、松江藩で藩主を務められていた「松平不昧」公です。
この方は、大名茶人としても著名で、千利休を尊崇し、名器とされた茶器を散逸、毀損から守るためコレクションし、分類して台帳を作り、スケッチをして記録して残された。
このことから文化財保護の先駆けとも称された。




また、不昧公は…

当時、一両の金も貸さないと言われるほど藩の財政が逼迫していたこともあり、
名器とされた茶器の写を陶工や漆芸、木工職人にたちに貸し与えて、藩として産業を起こし、販路流通を拡大し、和菓子では技術を磨き上げ、京都と金沢に並ぶお菓子どころとして著名になるなど「茶の湯」でブランディングづくり(地域振興)を戦略的に行っていった。


そして、松江と言えば「和菓子どころ」、「茶の湯」のイメージが作られていった。
さらに、不昧公は、工芸品や和菓子を流通させながら、「茶の湯」を通じて伝えたかった、
「正しく茶の湯を皆行えば天下が治まる」と言う考え方を広めていった。
まさに、地域グルみでまちづくりを実践していった、先駆けだったとも思いますね。

それは、中標津町にもリンクするのではないかと思いました。
縄文・アイヌ文化等を基層としながらも、凡そ100年の時を経て、酪農文化が育まれ、
たくさんの食文化が作られ、生活文化も彩られていった。

文化と産業が密接に関わりながら、町の固有性、魅力づくりが作られていくことから、
私は、文化財を地域資源と見なすことに抵抗はなかったのが正直なところです。
それは、既に、不昧公が実践した藩政改革の実践に通じるものがあったと思うからで、文化=産業・観光=経済の好循環が生み出されることで、文化財の修理費用、活動費の財源を確保でき、結果的に先人たちの記憶や歴史が受け継がれていくのではと短絡的かもしれないが、そう考えたから計画を作ろうと思ったし、可能性を感じました。

文化財を活用することで、町の固有性を高める、「我がまちは、酪農の町である」など
戦略的に発信をしていくことにつながると思います。


 
(開陽台上空写真  *中標津町)
        


これから、思うのは、千利休のように淡々と文化的なことを実践していきたい。
できることから淡々と。

利休は茶の湯とは、「お茶をただ立てるだけのことです」と問いたように、あれやこれや考えずに淡々と町の文化財の保存・活用について、町民の皆さんと、専門家の皆さん、企業の皆さんと手を携えながらできることからやっていきたい。ただただ、それだけです。


長々と書き連ねてしまいました。
松平不昧公を研究されている方に、誤りがございましたら大変申し訳ございません。

ここで、筆を下ろします。

お許しください。

おかげさまで、もやもやしていたことが整理されました。







(M学芸員)



2023年2月21日火曜日

久々の投稿…。

久々の投稿…。

すっかり、ご無沙汰になってしまいました…。

「コロナ」対応も、変わっていくなど、社会状況も変わっていってきている。


現在、作成している「文化財保存活用地域計画」も、4月で4年目を迎えて、

いよいよ最終年度。

今週日曜日には、年度最後の協議会を開催する予定です。

会議のたびに、緊張で手汗がビッショリ…。






計画作成に当たっては…

今までの指定・登録されている文化財に関わらず、地域の人々が大切に残されてきているものや、地域社会に埋もれてしまっている未指定の文化財の拾い上げも調査部会で行ってきました。そうした未指定の文化財も含めて、保存・活用、文化財保護の対象にして魅力あるまちづくりにしていこうというのが計画作成の趣旨です。


因みに、

「未指定の文化財を含めて、保存・活用していこう〜」というのが計画作成の一つ重要なポイントですが、その未指定の捉え方も変わってきています。

今まで、「文化財」として見てこなかった「食文化」「特産品」「伝承」「地名」「方言」なども文化財の対象にしましょうということで、広い意味で捉えるようになってきています。

ですので、広く関連づけて保存・活用することで、町の魅力づくりや、文化観光をはじめとしたまちづくりへの期待感が高まってきています。


さてさて、計画作成まで、まだまだ課題は多いですが、少しづつ文化財の情報発信を行わなければと思うこの頃です。


おわりに


今朝の郷土館緑ヶ丘分館 ※撮影、郷土館のT



スノーシューを履いて、見に行く機会もほぼ無くなって、9割5分ディスクワーク…。


(M学芸員)

2019年10月14日月曜日

秋晴れの空の下、木版画を見る

最低気温は空港での‐2.4℃で「11月中旬並」、「今季最低」。最高気温は同所での12.6℃で「10月下旬並」。

 台風が去り、秋晴れとなった空には、龍のうろこのような雲が広がっていました。
このようなうろこ雲は低気圧が近づいているという証だと云われていますが、さて、どうなるでしょうか?

 
 
 
秋晴れの空の下、次の展示をどうしようか、何かヒントがないか久々に散策することにしました。
ちょうど、町中の美術館「東1条ギャラリー」で細見浩先生の「木版画展」が開催されていたので、
見学させて頂きました。
 


 
細見先生によって、描かれた道東の美しい景観は、絵を見る人の心を和ませる情緒さ優しさに
包まれているにように感じます。
 
  ギャラリーでは、細見先生の奥様、娘さん方がコーヒーを出して頂き、ご案内してくれました。
 細見先生の絵画作成秘話などをお聞きすることができ貴重な時間を過ごさせて頂きました。
 
 奥様から細見先生の酪農景観を描いた時のお話しを伺った際に、川端康成氏が東山魁夷氏へ、
高度経済成長により、街並みが変わる前に「京都の街並みを描き残して欲しい」と助言されたときのエピソードを思い出しました。
細見先生が描いたニオが広がる酪農景観は今はもう観ることが出来ない1コマです。そう考えると細見先生の木版画によって、その時代、時代を写した道東地域の景観を知る貴重な資料だと感じました。
 
 現に、今となっては当時の色合いを知る手がかりがあまりない旧道農事試験場根室支場の種苗倉庫、農具庫を木版画によって描かれたことにより、往時の色合いを知ることができます。
 
先生の画集には、以下のコメンとが記されています。
 
 旧根釧農試の建物がいま残されて伝成館という名称で活用されているが、移設されて森林公園にある資料館(旧:陳列館、現:郷土館緑ヶ丘分館)と建物の裏にある木造の牧舎はいい画題であった。これまでも小品として版画にしている。
 この建物との出会いは昭和32年後半であったが、逆算してみるとその時既に建てられてから三十年が過ぎていたことになる。しかし、牧舎としてはまだ現役だったように思う。木造で白く塗装された柱や板壁、独特な木組みと個性的な建て方は見ていて飽きることがない建物だった。
 
 
 
奥様によると、細見先生も、当町桜ヶ丘に所在する旧道農事試験場根室支場の建物と白樺並木の景観が好きで、離れている旧陳列館(現郷土館緑ヶ丘分館)も含めて好んで描いたという。
絵を見た当時の職員も懐かしいと話していたという。
 
展覧会は、来月17日まで開催されているとのことでしたので、また見学させて頂こうと思います。
良い休日を過ごさせていただきました。
ありがとうございました。
 
展覧会の期間:10月19・20・26・27
          11月2・3・4・9・10・16・17
          11:00~16:00
会      場:東1条ギャラリー
          標津郡中標津町東1条北1丁目16番地2階
 
                                                        byM
 
 
 
 
 

2018年11月7日水曜日

孵化場の痕跡を探る…



昨日は、Y学芸員とかつて所在していた孵化場の近くで埋蔵文化財所在確認調査があったので、対岸でしたが現地調査をしたところ、当時使っていた橋桁が残っていたのを確認しました。
標津川の対岸、段丘上に孵化場が所在していました。

↓孵化場唯一の遺構、橋桁

↓昨年6月に孵化場跡から撮影

    ↓写真、右端の橋桁と思われます。
昭和45年 撮影
昨年6月に孵化場が所在した現地を調査した際には、対岸に橋桁のようなものがあるとしか確認できていなかったのですが、今回、確認したところ確かに橋桁でした。
付近には孵化場に至るまでの道がつけられていたこともわかりました。また、建物を建てるためか、土地を改良したような跡もありました。
↓現場写真の中央にある巨木(赤丸印)は、


↓明治時代に撮影された写真の中央に写っている樹木ではないかと思われます。
             「根室原野発展写真帳」より

昨年、現地での聞き取りによると水槽などは取り上げ、壊されたとのことですので、
残念ながら施設としてわかるものはないです…(-_-;)

近くに、アイヌのチャシもありそうな感じだったのですが、見当たらなかったです…。
                                                   

↓因みに、昨年6月に訪れた様子もブログで掲載しています。


【中標津事業所の沿革】
 孵化場は、明治24年に標津漁業組合が、現地調査を実施し、標津川上流50キロのポンリウル川合流地点を適地として、開設した。(31線北4)
 その後、組織の改変、移管があり昭和27年には国営移管となり、水産庁北海道さけ・ますふ化場根室支場が開庁され、「中標津事業場」と改称された。
 昭和50年には、さけ・ます資源増大生産計画がもちあがったが、用水不足と施設の老朽化に加えて用地不足となったため、養老牛へ移転した。
                                                         byM

2018年11月5日月曜日

告知!ナカシべツ大学、北海道150年記念事業特別企画

告知!


ナカシベツ大学特別企画
  『北海道150年事業 キーパーソン

   “幕末維新を生きた旅の巨人”

    松浦武四郎の生涯 』

 
次回、ナカシベツ大学では、松浦武四郎の調査研究を第一線でされている北海道博物館学芸員三浦泰之氏をお迎えして、「見る、集める、伝える」ことに捧げた武四郎の生涯についてお話されます。

 

 日 程 / 平成30年11月25日() 午後3時開始

会 場 / 中標津町総合文化会館 第2研修室

      ※申し込み多数の場合は第2研修室からコミュニティーホール

へ変更となります。

講 師 / 北海道博物館 学芸員 三浦 泰之 氏

      7、8月に北海道博物館で開催された武四郎の特別展をご担当

されています。

聴講料 / 1,000

申込先 / 中標津町総合文化会館 (☎73-1131

      住所:標津郡中標津町東2条南3丁目1
 
主 催 / (一財)中標津町文化スポーツ振興財団
 
松浦 武四郎
(松浦武四郎記念館所蔵)
 

2018年9月16日日曜日

告知!郷土館緑ヶ丘分館オータムフェスタ開催!!

告知!

来月6日、築90年を迎える郷土館緑ヶ丘分館(国の登録有形文化財)にてオータムフェスタを開催します!
当日は、地元音楽サークルによる生演奏や蓄音機によるSPレコード鑑賞を行います。
また、郷土館友の会によるモノ(農機具関係資料)の語り部、展示資料解説を予定しております。
おいしいコーヒーを無料で提供いたしますので、色づきはじめた落葉樹の森と建物とのロケーションを楽しんで頂ければと思います!
ぜひ、お時間のある方は郷土館分館へお越しください!!

来週火曜日には、地域コミュニティーFMはな 『Miwaのアフタヌーンフラワー』に郷土館友の会長と一緒に出演させて頂き、今回の事業についてご紹介いたします!
こちらもどうぞよろしくお願いします!




↓中標津町郷土館緑ヶ丘分館
 
昨日も、今回の事業の発案者である友人としばしば夢を語りました~
お役所にいると、現実的ですが、ここに立つ不思議と夢をみさせてくれます!!


↓位置図
 
↓案内看板の道の先に分館があります。

2018年8月24日金曜日

明日から『松浦武四郎 根室管内巡回展』がスタート!


明日から、中標津町総合文化会館(しるべっと)にて『北海道150年記念事業/松浦武四郎生誕200年 根室管内巡回パネル展』が始まります。

展示では、武四郎の生涯を紹介するパネル展や、根室管内で踏査した際に記録した日誌や絵図、また踏査した際のエピソードをパネル展でご紹介しています。

さらに、武四郎が踏査した際に記録した川筋、アイヌ語地名などを記した『東西蝦夷山川地理取調図』の巨大床地図も配置していますので、実際に巨大床地図の上を歩きながら、武四郎の踏査記録の一端を感じてもらえればと思います!

どうぞよろしくお願いします~~<m(__)m>
 



  日  程  平成30年8月25日(土)~30日(木)     午前9時~午後10時
  
  会  場  中標津町総合文化会館(しるべっと) 展示室

  入 場 料  無  料
  
  主  催  北海道根室振興局

  共  催  北海道根室教育局
         根室市教育委員会、中標津町教育委員会、別海町教育委員会、
         標津町教育委員会、羅臼町教育委員会

  問合先  北海道根室振興局地域政策課  ☎0153-24-5572

↓午前中、会場で設営作業
 
 
↓会場の様子

 
↓巨大床地図
 
今回、武四郎のパネルを作成する中で、小さな驚きと発見があり、Y学芸員と感動に浸りました!

さて、私事ですが、今週日曜日は、北海道博物館で開催される武四郎の研究史をふりかえるフォーラムに参加して、勉強させていただこうと思います!
 

byM

 
       
        

2018年8月8日水曜日

告知!

告知!

今月17日に、東京大学大学院社会系研究科准教授熊木俊朗先生をお招きして、中標津町生涯学習研修講座「続縄文時代とオホーツク文化 -北海道東北部における文化接触―」と題して、古代の北海道及びその北方地域との交流についてわかりやすくご紹介します。
ご来場心よりお待ちしております! <m(__)m>




講師紹介

熊木 俊朗 (くまき としあき)

1967年 東京都生まれ
1990年 北海道大学文学部文学科 言語学専攻課程卒業
1994年 明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業
1996年 東京大学大学院人文社会系研究科考古学専門分野修士課程修了
現   在 東京大学大学院人文社会系研究科 准教授(附属北海文化研究常呂実習施設勤務)
       博士 (文学)


講師である熊木先生は、先月10日に北海道出版企画センターより「オホーツク海南岸地域古代土器の研究」を出版しており、当該期の広域的な土器型式を確立し、土器型式の編年を通じて地域間交流の実態を明らかにするという研究成果を発表しています。






2018年4月25日水曜日

明日から昭和の日写真展スタート!

今日の天気は曇りのち雨。
最低気温は上標津での‐0.6℃、最高気温は空港での9.2℃で「4月下旬並」。

今年も4月29日の”昭和の日”に因んで特別展「昭和の日 写真展」を明日から開催します!
今回は、モノクロ写真をAIを使用してカラー化してみました。鮮明に写っていない写真もありますが、往時の次代の雰囲気を感じてもらえれば幸いです!

展示を設営した際に、懐かしそうに写真をご覧になられていた方がいらっしゃいました。
この方は、大正14年生まれで、厚床から中標津まで殖民軌道に乗って来たそうです。
昭和25年に撮影された駅前通りの写真をご覧になられ、「まさにこんな感じだったような」と当時を思い起こされていました。
最後に、「ありがたい企画だ、ありがたい」とおしゃってくださいました。

5月8日までしるべっとギャラリー廊下で開催していますのでぜひご覧になっていただければと思います!



 
 
特別展「昭和の日 写真展」
 
会 期 平成30年4月26日(木)~5月8日(火)
    
会 場 中標津町総合文化会館(しるべっと)ギャラリー廊下
 
開館時間 午前9時~午後10時
 
会期中の休館日 5月7日(月)
 
主 催 中標津町郷土館
 
共 催 (一財)中標津町文化スポーツ振興財団
 
問合先 中標津町教育委員会生涯学習課 
      TEL:0153-73-3111 (268)

 
本日のブログは学芸員のMでした。

2018年4月10日火曜日

年度初め初のフィールドワーク

今日の天気は晴れ。
最低気温は空港での‐6.2℃で「3月下旬並」、最高気温は中標津での11.3℃で「4月下旬並」。



午前中は、日本野鳥の会根室支部のAさん、Oさんと一緒に、町内で唯一オジロワシが営巣している巣の状況を確認しに行ってきました。

↓そこには、確かに巣の左側にオジロワシと思われる鳥を確認しました。



 
 
残念ながらはっきりとコッコこの様子はわかりませんでしたが…。
それらしき姿があり、おそらくコッコが孵っているのではと思われます!!

今後も暖かく様子を見守っていきたいと思います!!

byM