2015年4月8日水曜日

校旗で町内の教育史をふりかえる[中標津町郷土館]

一日、晴れておりました。
最低気温は中標津での-6.5℃で「3月下旬並」、最高気温は中標津での3.0℃で「3月下旬並」。

今日の午前中は、収蔵庫にて資料の整理作業、午後からは資料の貸し出し申請による事務、上標津にて寄贈資料の受け入れにかかる事務等を行っておりました。

と、言うことで本日寄贈して頂いた資料をご紹介します!

1つ目は、『上標津青年団』の団旗

『中標津町史』によれば、青年団が全国的に発足したのは明治の末期から大正初期にかけてだそうで、主とした活動内容は、「冬季の閑散期に夜学会・撃剣会・講演会などを開催していた」とのこと。

大正7年次の町内の各青年団会員数は以下のとおりです。

標津原野中央青年団(武佐)・・・51
中標津青年団・・・37
開陽青年団・・・20

昭和初期には会員数の増加とともに活動も益々盛んに行われたそうです。

2つ目は、上標津青年学校の旭日旗

『町史』によれば、「昭和10年4月1日、法令によって各小学校単位に青年学校が設置され、自主的な青年団は影をひそめてしまった」そうです。
昭和12年の満州事変により軍国主義化が進み、青年学校は軍事教練が強化され、自主的な活動の余地はなくなり、、軍事援護活動、勤労奉仕にかりだされたという。

(因みに、学校の廊下には、手りゅう弾、防毒面、木銃が並べられていたという…。
また、校舎が軍事教練の場として使用されることがないことを祈りたいですね)

3つ目は、上標津尋常小学校の校旗

昭和4年に上標津尋常小学校として独立しております。

4つ目は、上標津小学校、大運動会の優勝旗


昭和22年に上標津小学校に改称しております。

このように、校旗から町内における教育史をたどることができるわけですね。
状態もすばらしいですし、何より戦前、戦中時に使用された校旗が保存されていたことに
驚きました。

本日のブログは、学芸員のMでした。


0 件のコメント:

コメントを投稿