2018年11月7日水曜日

孵化場の痕跡を探る…



昨日は、Y学芸員とかつて所在していた孵化場の近くで埋蔵文化財所在確認調査があったので、対岸でしたが現地調査をしたところ、当時使っていた橋桁が残っていたのを確認しました。
標津川の対岸、段丘上に孵化場が所在していました。

↓孵化場唯一の遺構、橋桁

↓昨年6月に孵化場跡から撮影

    ↓写真、右端の橋桁と思われます。
昭和45年 撮影
昨年6月に孵化場が所在した現地を調査した際には、対岸に橋桁のようなものがあるとしか確認できていなかったのですが、今回、確認したところ確かに橋桁でした。
付近には孵化場に至るまでの道がつけられていたこともわかりました。また、建物を建てるためか、土地を改良したような跡もありました。
↓現場写真の中央にある巨木(赤丸印)は、


↓明治時代に撮影された写真の中央に写っている樹木ではないかと思われます。
             「根室原野発展写真帳」より

昨年、現地での聞き取りによると水槽などは取り上げ、壊されたとのことですので、
残念ながら施設としてわかるものはないです…(-_-;)

近くに、アイヌのチャシもありそうな感じだったのですが、見当たらなかったです…。
                                                   

↓因みに、昨年6月に訪れた様子もブログで掲載しています。


【中標津事業所の沿革】
 孵化場は、明治24年に標津漁業組合が、現地調査を実施し、標津川上流50キロのポンリウル川合流地点を適地として、開設した。(31線北4)
 その後、組織の改変、移管があり昭和27年には国営移管となり、水産庁北海道さけ・ますふ化場根室支場が開庁され、「中標津事業場」と改称された。
 昭和50年には、さけ・ます資源増大生産計画がもちあがったが、用水不足と施設の老朽化に加えて用地不足となったため、養老牛へ移転した。
                                                         byM

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